ふたりブログ

毎回とあるテーマでつづります

2020年4月25日の私

テーマ【2020年4月25日の私】

 

 心に映る色々の事というのは、留めておこうと思ってもそううまくはいかず、如何に重々しい事柄であろうと時の矢に引かれ、ずるずると過ぎ去ってしまって、後になって振り返っても何も見えず、何も聞こえない。後々反芻するのなら、その時その時で、あった事/感じた事を書き留めておくのがよかろうと思うので、久しぶりに少し、文を書いてみようと思う。

 "見えない敵"に対して、2月は確かに他人事で、それが証拠に演奏会へ出掛けたと日記にある。ところが3月ともなると、行く予定だった演奏会は中止になって、職場もテレワークに切り替わった。4月に入ると、週のうち7日間、散歩と必要最小限の買い物を除いて家にいる。

 恐ろしいと思う気持ちはあって、できるだけ気を使って生活しているが、反面、開き直った気持ちもある。結局のところ一市民には外出自粛と手洗いくらいしかできないのだから、やることをやったら、後は天命を待つばかりである。神経質になりすぎて、免疫力が落ちても本末転倒ではないか。脳天気である必要はないが、常に明るくあった方が良さそうだ。

 世間の論調もそういったものが多いが、今後世界が大きく変わっていくのかなと、ぼんやりと思っていて、対して自分の生活はどうしようかなと、考え中である。毎日を楽しくするアイディアは、あるにはあるが実行できていない。時間がたっぷりできたのに、それをうまく使えないでいる。せっかくなので、何か始めてみようかとも思うが、相変わらず怠けている。"なんにもしていない"旨、そういえば高校生の時の日記にも似たようなことを書いた。時代時勢が変わっても、人間はそうそう変われないようで。

 

2020.04.25 T.N.

「中身と形式」を読んで

テーマ【中身と形式】


講談社学術文庫に「私の個人主義」という本がある。著者は夏目漱石。といっても、漱石が直接書いた本ではなく、彼の講演が5本収録されたものである。掲題の「私の個人主義」をはじめ、「道楽と職業」「現代日本の開化」「中身と形式」「文芸と道徳」のどれをとっても、100年以上前の講演とは考えられないほど今の世の中に通ずることが多い。今回はその中から「中身と形式」の一部を抜粋する。

 

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「物の内容を知り尽くした人間、中身の内に生息している人間はそれほど形式に拘泥しないし、また無理な形式を喜ばない傾があるが、門外漢になると中味が分らなくってもとにかく形式だけは知りたがる、そうして形式がいかにその物を現すに不適当であっても何でも構わずに一種の智識として尊重する事になる」

「形式は内容のための形式であって、形式のために内容ができるのではない」

「元来この型そのものが、何のために存在の権利を持っているかというと、前にもお話した通り内容実質を内面の生活上経験することが出来ないにもかかわらずどうでも纏めて一括りにしておきたいという念に外ならんので、会社の決算とか学校の点数と同じように表の上で早呑込をする一種の智識欲、もしくは実際上の便宜のために外ならんのですから、厳密な意味でいうと、型自身が独立して自然に存在するわけのものではない。(中略)変化のある人間というものは、そう一定不変の型で支配されるはずがない。(中略)種々の変化を受ける以上は、時と場合に応じて無理のない型を拵えてやらなければ到底此方の要求通りに運ぶわけのものではない。」

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以前から、仕事でもメールを捌くのが業務の中心になっていたり、普段の会話でもチャットで済ませていたりと感じていた。そこに昨今の状況も相まって、テキストによる表現が一層影響力を強めてきた。上の文章に当てはめた場合、テキストが形式だとすると、その人の考えが中身に当たるのかなと思う。中身の人間は状況次第で変化しうる一方、テキストとしての言葉はその場から残る。残った言葉がひとり歩きして、その人の考えていない文脈まで広がっているような場面はないだろうか。もちろん、このブログでも言葉の選択には一層気をつけなければならないし、今は書くことでその訓練をしていると言ってもいい。

同様のことがシステム開発や仕組みづくりについても言えて、あくまでもプロセスが先でシステムやルールが作られるのに、既存のシステムやルールが先行して運用を邪魔しているようなこともある。往々にして、初期段階で内容が全然固まっていなかったとか、自分たちのやっていることが説明できなかったとかに問題があるのだが、わかった時点で都度変えていけばそれでいいと思う。それなのに、過去を否定できずズルズルと残している結果、それこそ「カタチ」だけの業務に追われていることも多い。

リモートの環境になってきたり、物事そのものが複雑化してきたりして、中身全体を捉えることがだんだんと難しくなってきた。それでも、目に見えるカタチに囚われず、本質を掴むことを心がけたい。また、形式や型にしても白黒ハッキリ*1ではなく状況に合わせられるように、ブレーキの「あそび」のようなものがあったっていいと思う。余裕を持たせるだけの心のゆとりこそが、困難な状況を乗り切るうえで今の自分たちに求められている気がする。

 

PS: 私の書いた2本目の投稿*2に、奇しくも漱石のパロディで同じことを言っているのに気がついたので、追記しておく。

2020.04.25 T.Y.

週末のおしゃべり

テーマ【再開】


今ほど、このブログをやっている相方と2時間ほど電話をした。そこで話したことの一部を、忘れないうちにメモしてみた。

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最近は情報に距離的な差を意識することがなくなり、人々は等しく情報にアクセスすることができる。元々新聞やテレビといったメディアはあったが、ネットやスマホSNSなどによってその差が急速に縮まってきた。

そんな中思うのは、人々がひとつの情報や分かりやすい情報に集中する傾向になってきていないかということ。ひとつの情報に集まることで、物事を一面的な見方で捉えてしまいがちになる。分かりやすい情報に集まることで、物事が単純化される過程でそぎ落とされたものが隠れてしまいがちになる。それが良いことだとか悪いことだとかを言っているわけではない。今の世の中にはそのような特長があるのかなと。インスタグラムは、その一例だと思う。視覚的に訴えかけて分かりやすく、何百万人のフォロワーを持つ方たちの動向には注目が集まる。

一方で、分かりやすいことに飛びついた結果、知らず知らずに周りに流されて大衆迎合主義に陥ってしまう可能性は否定できない。(その例は各々あるだろうが、主観的な側面が多く含まれるため、ここでは触れません。)そうならないように、得た情報をそのまま見るのではなく、俯瞰したり、掘り下げたり、他と比較したりする。多面的な物の見方を身につけ、捉えた情報を元に自分の頭で考え、納得したうえでの行動というのは意識している。

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この後も長々と語り合った。一連の話をまとめると、「認知・判断・実行」の心がけが、膨大な情報に接する現代社会において必要な三要素であると私は思う。そういえば似たような言葉を自動車教習所で習った気がする*1。ついでなので車にかけて一言付け加えると、「認知・判断・実行」の各能力を高めていくためには、常日頃からインプットとアウトプットの両車輪を回していくことが欠かせない。


2020.04.19 T.Y.

最近思うこと(パート2)

テーマ【ミルグラム実験

 

ミルグラム実験と言われるものがある。心理学者のミルグラムさんが行った。内容は、教師役となった被験者が壁を隔てて離れた生徒役に問題をだし、生徒が間違えると教師が電気ショックを与えるというもの。壁の向こう側の生徒役(実際は役者)は何度も問題を間違え、そのたびに苦しい声を上げているにも関わらず、教師役の被験者は、真横にいる実験者に強く促されることで、電気ショックを与え続けた。この実験がもたらした結論は、普通の人々は権威者がいるだけで非人道的な行為を行うよう誘導されてしまうということであった。

ミルグラム実験アイヒマン実験とも言われる。こちらはミルグラムさんが実験するきっかけとなった人物、アドルフ・アイヒマンの名前から。彼はナチスホロコーストに関わった人物として知られている。秘密警察ゲシュタポの長官として、第二次世界大戦中に数百万人のユダヤ人を強制収容所に送り込んだ。終戦直前、戦争の状況が不利だと分かると、彼は難民を装いアルゼンチンへ逃亡する。終戦後、情報を聞きつけたイスラエルのスパイがアルゼンチンに潜伏して、苦労の末アイヒマンを探しだした。その決め手になったのが、彼が妻との結婚記念日に花屋で花束を購入したことであった。ユダヤ人虐殺の指導者と聞くと、ダースベイダーのような非人道者を思い浮かべがちだが、彼のような普通の人間でも野蛮な行為をしてしまうというのが心理学の研究対象になったわけである。

今年の1月にポーランドアウシュビッツを見学したのは以前の記事でも書いた。それなりに衝撃を受けたのも事実で、あれ以来、組織に属する人間の行動について注意深く見るようになった。現地を回ると分かるのだが、ヒトラーの写真は館内でほとんど見かけない。それはホロコーストを彼ひとりの責任になすりつけていないことを意味しているらしい。強制収容所という建物を残し、歴史と向き合うことによって、ヨーロッパ全体で社会としての責任を取っているのだと思う。実際、学校教育の一環で毎年150万人の子供たちがアウシュビッツを訪問していて、主にメンタル面を学ばせている。当事者意識を持っているという点においては、同じ負の遺産である広島や長崎とは少し意味合いが違うのかもしれない。

久々の投稿でなぜこんな話を書きたくなったかというと、同じような状況が、わたしが身を置く環境にも起きかねないと危惧しているからである。変革という大きなうねりの中にあって、いろいろな物事が混沌としてきた。そこで目につくのが、中身と形式がズレてきているにもかかわらず、既存のルールを守るのに躍起になっていること。もっと気がかりなのは、それを責任者という名の元、限られた人間の一存だけで動いていること。そして大多数の担当者はなにも考えず言われたことに従うばかりなこと。思うに、本来は目的があって、ルールはその目的を達成するための手段でしかない。なので、目的から乖離したルールは変えていく必要があると思って動いているのだが、そこにエネルギーをかけることにだんだんと疲れてきた。

でもやはり、誤った命令やルールには毅然と立ち向かわなければならない。当時のドイツと比較するのは正直馬鹿げていると思ってもいるが、自分の頭で考えないまま周りに流されて行動することの危険性を、アウシュビッツで学んだ経験は無駄にしてはいけない。

 

2019.11.21 T.Y.

熊本旅行

テーマ【教会】

 

 8月、熊本旅行に行ってきた。一人で2泊3日。といっても火曜日夕方に着いて木曜日の朝一便で戻ったので実質1日半といったところか。めぼしいグルメはほぼ網羅したと思う。一番印象に残ったのは天草へドライブしたことであった。

 最近自覚して、きっかけもよく覚えていないが、教会が好きだ。無宗教の自分でも神聖な印象を受けるというのもあるし、祭壇、十字架、聖書を描いた絵画、パイプオルガン、ステンドグラスなんかは、日本の寺や神社にない、欧州の気配を感じられる。たぶん、どこか情緒を超えた静寂的な意味と、そこでの荘厳な雰囲気が好きなんだろうと思う。少し似ているところで言うと、もっとも日本の寺や神社の雰囲気も嫌いじゃない。彼岸へ行く人、帰る人が集まる場所。

 天草にある崎津という場所は、日本のキリスト教の歴史にとって、大きな意味のある集落のようだ。鎖国時代、教会は潜伏キリシタンにとっては世界との結合点。信仰が禁止されている中、彼らが知識を入手する窓口は国に一つもない。そこでの生活については天草キリシタン*1で観ることができる。

 頭が固いもので、"オリジナル"だとか"当時の~"という言葉に弱い。現在の崎津教会は1934年に再建されたものである。"近代になってから復元しました"という言葉のせいで期待ほどではなかった。ただ、教会内部は畳が敷いてあって、これはこれで趣があって良かった。解説は崎津集落ガイダンスセンター*2で楽しめる。

 感動したのは、潜伏キリシタンは自分たちの信仰を守ろうと必死だったこと。なにせ鎖国中なのでキリスト教は禁教でご法度。地形の複雑な天草諸島に身を隠して信仰を続けたのだろう。今では天草五橋によって主要な島々は繋がっているが、たしかに潜伏にはうってつけだと思った。島と言ってもほとんどが険しい山に覆われているため、逆に集落があることに驚いたくらいである。これは現地へドライブしたことで身をもって実感できた。

 というわけで潜伏キリシタン関連遺産の町、天草を楽しんできた。高確率で出会えるイルカも見たいなら1泊2日がベター、皆様も是非。

 

2019.09.08 T.Y.

長崎旅行

テーマ【港】

 

 8月、長崎旅行に行ってきた。一人で4泊5日、めぼしい観光地はほぼ網羅したと思うが、一番印象に残ったのは長崎港と出島だった。

 最近自覚して、きっかけもよく覚えていないが、港が好きだ。大海原と水平線に雄大な印象を受けるというのもあるし、造船所、漁船、客船、貨物船、波止場と碇を受ける杭なんかは、浜辺にはない、産業と生活の気配を感じられる。たぶん、広い世界への出発点でもあり、帰る場所でもあるという情緒的な意味と、そこで働いて、生活している人たちの、なんとなくせわしない雰囲気が好きなんだろうと思う。少し似ているところで言うと、空港のごった返した雰囲気も嫌いじゃない。どこかへ行く人、帰る人が集まる場所。

 長崎港は上に挙げた情緒的な意味において、日本有数の港のようだ。鎖国時代、唯一国外と繋がっていた、日本の知識人にとっては世界との結合点、オランダ商人にとっては、祖国とは別のもう一つの家。そこで生活していた人たちの様子は、観光地として復元された(正確には現在も復元中(» 出島復元プロジェクト))出島で観ることができる。

 頭が固いもので、"オリジナル"だとか"当時の~"という言葉に弱く、反対に"近代になってから復元しました"という言葉のせいで期待できなかったが、これが間違い。みてくれが感動できるほど素晴らしいという訳ではないが、船頭の家、商館、蔵、料理場などがきれいに再現されていて、それぞれの部屋や小物に丁寧な解説がついて楽しめる。

 感動したのは、オランダ人は日本を、日本人はオランダを学ぼうと必死だったこと。なにせ鎖国中なので外国人に許される自由は限られているし、日本人にしてみても、西洋の知識を入手する窓口が国に一つしかない。そんな中で、入国者側では有名なシーボルトも含む出島三学者と呼ばれた人がいて、日本の植物などを採取・研究したそう。また、当時の日本知識人は、どこの出身でもみな"長崎に遊学"することが多かったようだ。

 というわけで日本近代化の礎となった町、長崎を楽しんできた。出島と港を観るだけなら5日もいらないので、皆様も是非。

 

2019.09.07 T.N.

樽酒マイスターファクトリー

テーマ【樽酒】

 

菊正宗酒造へ行ってきた。電車を乗り継いで、最寄りである六甲ライナーの南魚崎駅で降りる。六甲アイランドへの玄関口であるため、モノレールのこの駅はほとんど海に浮かんでるようだった。1Fの出口を抜けて六甲ライナーの路線沿いを歩いていくと、左手に菊正宗の記念館がある。ここは入場無料だ。

江戸時代、灘の酒は樽に入れられたものが樽廻船といわれる船で運べばれて江戸へ「下って」*1いた。下り酒は江戸っ子からの人気で、反対に「下り酒ではない=大したことない」から今の「くだらない」の語源になったという説もあるとか。それ以来、灘の酒は日本随一の生産量を誇り、今にも受け継がれている。話は逸れたが、当時樽で運ばれた日本酒は船で揺られる過程で、樽の香りや風味が酒に移ってしまう。それが逆に良い味わいを出して今では「樽酒」として親しまれている。

ここ菊正宗では、樽酒に使われる樽を、奈良は吉野の杉を用いて自社生産している。今日はその樽工房を実際に見学させていただいた。形の異なる材木をパズルのように組み合わせ、竹で編んだタガで締め付けて作る酒樽はそれこそ職人芸で、ひとつ40分あまりで作成するらしい。日本酒をその樽に注入して寝かせることで、吉野杉の香りや風味を酒に染み込ませる。頃合いを見計らってそれを瓶詰めして製品になるという。樽酒で使われた樽は日本酒では二度と使われず、漬物をはじめとした二次用途向けに出荷される。

樽酒を樽から作っているというのには驚かされた。餅は餅屋というが、ここでは餅屋が杵や臼まで作っていると言ったところか。しかしながら、酒樽職人の数は減ってしまっているので、菊正宗は後継者育成に力を入れているそうである。今日案内していただいた方は女性の職人候補の方であった。カンナなどの道具も樽作り用の特注品で、修理できる人もいないので大事に使うしかないそうだ。

見学後にこの樽酒を試飲させていただいた。中身はしっかりとした純米酒。飲む前はウイスキーを彷彿とさせるスモーキーな香りなのに、飲むと「辛口ひとすじ」を掲げる菊正宗らしい、キリッとした日本酒であった。試飲はほかにも生原酒や新ブランド百黙の純米大吟醸も楽しめた。これらもまた美味であった。大事なことなのでもう一度言うが「無料」である。もちろんドライバーの人はNGです。公共交通機関で行くことを強くオススメします。*2

 

2019.08.25 T.Y.

*1:当時は現在と逆で、京都へ行くのが「上り」とされていた。

*2:樽酒マイスターファクトリー|菊正宗~生酛(生もと)で辛口はうまくなる。~