ふたりブログ

毎回とあるテーマでつづります

アウシュビッツ強制収容所

お題「年末年始に見たもの・読んだもの」

テーマ【冬休み】

 

年始はアウシュビッツ強制収容所に行ってきた。それなりに心打たれたので、忘れないうちに感じたことをここに記す。

アウシュビッツは元々はドイツに反対したポーランド人を収容する場所だった。第一次世界大戦の賠償金に世界大恐慌が重なりダブルのストレスを追ったドイツはヒトラー政権発足後、ポーランドを侵攻。これが第二次世界大戦を引き起こす。最初はポーランド中のエリートを政治犯として刑務所へ送りこんでいたが、入りきらなくなったのでアウシュビッツ強制収容所を作った。のちにドイツがヨーロッパ中を占領していく中で、アウシュビッツでは多くのユダヤ人を虐殺することになる。

遺品や展示された資料から、強制収容所のなかの過酷な生活の一部を知ることができた。髪の毛を絨毯にしていたが、残った大量の髪が展示されていた。他にもメガネや靴、カバンなどの遺品も数え切れないほど展示されていた。義足義手が多く残っているのは、第一次世界大戦で負傷した影響だという。

建物も残されていて、レンガ作りや木造の小屋が広大な土地に、規則正しく建てられていた。そのいくつかに入ったが、およそ人が生活が出来るような場所ではなかった。しかし、そもそも75%のユダヤ人は収容所すら入らず、連行された途端にガス室に送り込まれて犠牲になっていた。この事実は自分にとっての一番の衝撃であって、決して忘れてはいけないと思った。

今回のガイドは日本人の方にお願いした。ガイドの方は説明をする際、徴用工をよく例に挙げてくれた。アウシュビッツの強制労働との共通点や相違点を通じて、私たちにこの問題ついて考えるきっかけをつくってくれた。博物館内に200人ほどいるガイドさんは、一部遺族の方もおられるが、実際に経験している人たちではない。「アウシュビッツで起きたことは、二度と起こしてはならない」という強いメッセージを、次の世代にどのように伝えるか。そのことについて、各ガイドさんはそれぞれ工夫を重ねながら案内をしている。

アウシュビッツでの出来事を他人ごとから自分ごとに捉えられたことは、今回の訪問での大きな成果である。人類史の本なんかを読んでいても、歴史的に他者を排除する習性を人間は持っていて、受け入れるよりも追い出す方が簡単だという。また、当事者になってしまうと、自分の立場以外のことを考えることは非常に難しい。ただ、昨今の急速なグローバル化によって、文化の違う人たちとの共存は避けられないし、大なり小なり似たような問題は必ず自分の身に降りかかる。その時に、中身を精査せずに多数派に入ろうとするような傍観者にならないよう、過去の歴史を学んでおく必要があると感じた。

 

2019.01.05 T.Y.