最近思うこと
テーマ【優先順位】
1番最初に会社に入った時、新入社員研修で「仕事の10か条」というのを暗唱させられた。この会社の人事が独自に作ったものだが、研修中にひたすら音読させられて、最終日に1人ずつ前に立って発表した気がする。この「仕事の10か条」、今ではひとつしか覚えていない一方で、「第2条、仕事の優先順位をつける」だけはなぜか今も鮮明に覚えている。
あいにく私たちの多くは複数の業務をこなすことが求められる。そのため、仕事に取り掛かる前に優先順位をつけるというのはよくあることだ。ただ、優先順位をつけることに慎重になりすぎているケースも散見する。仕事を効率よく進めるための手段だったのに、いつのまにか優先順位をつけることが目的そのものになってしまっている。そういった会議に、いくつか心当たりがある。
例えば、映画館に来て、どの映画を見ようか選ぶときに、その映画を見ることがいかに有益かを納得いくまで延々と議論しているような状態。見たい映画を決めたら、次はどの席で見たらいいかを検討しましょうなんて。気が付いたら、上映時間を過ぎちゃって見れませんでしたみたいな。そうやって費やした10分なり20分の時間こそが一番もったいないと思うのだが。
PDCAサイクルという言葉があるが、この場合「Plan」のことばかり考えていて、その先の「Do」に繋がっていない。いくらホームページやら予告編やらの情報を集めて頭で考えたって限界がある。それよりは、いろいろな映画を見て数をこなしたほうがいい。見ていくうちに「自分はこういう映画が好きなんだな」とか「このタイプの映画は映画館で見るべきだな」とか嗜好がつかみやすくなるので、次に映画館に行ったときに選択するのが早くなる。準備さえ出来ていれば、決断に時間はかからない。その準備は、外から得た情報ではなく、個人の経験というデータベースこそが役に立つ。
私自身が頭で考えることをあまり得意としてないこともあるのだが、自分の肌で感じたことが次の疑問や行動につながることは往々にしてよくある。優先順位を付けることに躍起になっているくらいなら、とりあえずできることからやってみる。早かれ遅かれ、それらのタスクは全部やらなければいけないのだから。「迷ったら動く方を選べ」である。
2019.01.12 T.Y.
思い出の一枚
テーマ【思い出の一枚】
アウシュビッツ強制収容所
テーマ【冬休み】
年始はアウシュビッツ強制収容所に行ってきた。それなりに心打たれたので、忘れないうちに感じたことをここに記す。
アウシュビッツは元々はドイツに反対したポーランド人を収容する場所だった。第一次世界大戦の賠償金に世界大恐慌が重なりダブルのストレスを追ったドイツはヒトラー政権発足後、ポーランドを侵攻。これが第二次世界大戦を引き起こす。最初はポーランド中のエリートを政治犯として刑務所へ送りこんでいたが、入りきらなくなったのでアウシュビッツ強制収容所を作った。のちにドイツがヨーロッパ中を占領していく中で、アウシュビッツでは多くのユダヤ人を虐殺することになる。
遺品や展示された資料から、強制収容所のなかの過酷な生活の一部を知ることができた。髪の毛を絨毯にしていたが、残った大量の髪が展示されていた。他にもメガネや靴、カバンなどの遺品も数え切れないほど展示されていた。義足義手が多く残っているのは、第一次世界大戦で負傷した影響だという。
建物も残されていて、レンガ作りや木造の小屋が広大な土地に、規則正しく建てられていた。そのいくつかに入ったが、およそ人が生活が出来るような場所ではなかった。しかし、そもそも75%のユダヤ人は収容所すら入らず、連行された途端にガス室に送り込まれて犠牲になっていた。この事実は自分にとっての一番の衝撃であって、決して忘れてはいけないと思った。
今回のガイドは日本人の方にお願いした。ガイドの方は説明をする際、徴用工をよく例に挙げてくれた。アウシュビッツの強制労働との共通点や相違点を通じて、私たちにこの問題ついて考えるきっかけをつくってくれた。博物館内に200人ほどいるガイドさんは、一部遺族の方もおられるが、実際に経験している人たちではない。「アウシュビッツで起きたことは、二度と起こしてはならない」という強いメッセージを、次の世代にどのように伝えるか。そのことについて、各ガイドさんはそれぞれ工夫を重ねながら案内をしている。
アウシュビッツでの出来事を他人ごとから自分ごとに捉えられたことは、今回の訪問での大きな成果である。人類史の本なんかを読んでいても、歴史的に他者を排除する習性を人間は持っていて、受け入れるよりも追い出す方が簡単だという。また、当事者になってしまうと、自分の立場以外のことを考えることは非常に難しい。ただ、昨今の急速なグローバル化によって、文化の違う人たちとの共存は避けられないし、大なり小なり似たような問題は必ず自分の身に降りかかる。その時に、中身を精査せずに多数派に入ろうとするような傍観者にならないよう、過去の歴史を学んでおく必要があると感じた。
2019.01.05 T.Y.
2019年の抱負
ベローチェにて
テーマ【総括と抱負】
2018年を振り返ると、色々とチャレンジをした気がする。5月にはスペイン巡礼でサリアから114km歩いた。7月には屋久島でオープンウォーターを1km完泳した。8月には人生初のアフリカでモロッコに行ったし、そのあとはウクレレの発表会に向けて練習に力を入れた。発表会終わった翌週には、六甲全山縦走大会に参加して56kmを須磨浦公園から宝塚までひたすら歩いた。また、本も50冊ほど読んだ。
面白そうだと思ったら、とりあえず手を出して飛び込んだ結果、今年は実に様々なことをやってきた。その中でぼんやりと感じたのは、「自分に課して成し遂げること、他人に与えて貢献すること」が、自分の生きる喜びになるのではないかということだ。前述したように、私が2018年で記憶に残ったものは、いつもより少し頑張ることで達成感を得たものだ。「自分に課して成し遂げる」方はこのまま継続していき、2019年は後者の「他人に与えて貢献する」方にも力を入れていきたい。
今日はこのブログをやっている相方と、一緒に公園でサッカーをした。私は経験者で指導の資格を持っているのだが、まだ初心者の相方に、蹴り方の基本的なコツを教えながらパス交換をしたら、みるみる上手くなっていった。
それと、2月に友人の結婚式のお手伝いを頼まれている。詳細はここでは差し控えるが、内容的に今までの人生経験を生かすことができるはず。あくまで主役は新郎新婦だということは忘れずに、自分は花を添えるカタチで、彼らが立派に結婚式を挙げることができたらいいなと思う。
相手が喜んでくれると、当然だがこちらも嬉しくなる。また、伝える為には、そのことについてより深く学んでおく必要もあるので、自分の成長にも繋がる。このように、まずは身近な相手に対して自分の持っている知識を活用してあげたい。
最終的には、自分の持つ知識やイメージを、言葉という手段を介在して、名前も知らない相手にも伝えられたらもっといいなと思う。その領域に達するためには、アウトプットの量と質が圧倒的に足りていない。そこで2018年で唯一の心残りである、このブログをもっと有効に活用することも2019年の抱負にしたい。
2019年は毎週を目標に、最低でも30回は投稿できれば。まずは思ったことを書くという習慣付けをすることから。例えば毎週60分を「ブログの時間」と称して、カフェに行って集中して書いてみるのもいいかもしれない。早速、今もカフェで相方を目の前にしてこのブログを書いている。周りからは異様な光景かもしれないが、お互いかなり集中した良い状態でここまで40分が経過した。相方がいるおかげでモチベーションになっている部分はかなり大きい。
カフェで書きながら思ったこととして、ブログ更新は「自分に課す」ことにも「他人に与える」ことにも通ずるものがありそうだ。そうやってブログを更新していきながら、自分の思ったことや伝えたいことを発信するスキルを磨いていきたい。いまのこの集中力を忘れずに、この「ふたりブログ」が飛躍できる年になれたらいいなと思う。
2018.12.30 T.Y
DENIM GALLERY
テーマ【デニム】
UESというデニム製品を扱っているブランドがあって、私は何年も前からひいきにさせていただいている。そこがJR大阪駅のルクアイーレ8Fに期間限定でブースを出していて、色落ちデニムの展示を行なっている。色落ちデニムは実際の使用者から預かり、着用年数と洗濯回数が記載されたタグを付けて並べてある。先日足を運んでみたが、自分が渡したジーンズも2本飾ってあった。
1本目は、4年前に購入したものである。もともと屋久島へ旅行したかったのだが、台風で流れてしまった。連休中で特にすることがなかったので、以前から気になっていたそのお店へ行った。その時は、レギュラータイプのジーンズを試着して購入した。2本目は、1年前に購入したものである。もともと登山へ行きたかったのだが、これまた台風直撃で中止になった。やはりすることがなかったので、以前もこんなことがあったなと思い、何気なくお店へ行った。店員さんと会話が弾み、気が付いたらスリムタイプのジーンズを試着して購入していた。今はこの2本目をほぼ毎日履いている。色も少しずつ落ちてきて、だんだん自分の足に合ってアタリが出てきて、味わい深くなっていく。1年前に撮った新品の写真と見比べると差ははっきりとわかってきた。それが楽しくなってきてもっと履きこむ。
話はかわるが、先週「日日是好日」という映画を見てきた。主人公がお茶の稽古に24年間通い続けたという内容である。あとで原作の本を読んだのだが、映画の中でも最も印象に残った一節を引用する。「世の中には、『すぐわかるもの』と、『すぐにはわからないもの 』の二種類がある。すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにわからないものは、フェリーニの『道』のように何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しずつじわじわとわかりだし、別ものに変わっていく。」
このブログも密かに「役立たずの教養」をポリシーにしている部分がある。「すぐに役に立たないこと」も、どこかで「役に立つこと」に変わっていくのだろうか。そのためには少なくとも長い時間をかける必要がありそうだ。ふたりブログもデニムと同じように、長く育てていけたらいいなと思っている。
2018.10.28 T.Y.
障がい者サッカー
テーマ【研修】
この週末は障がい者サッカーの研修会に参加した。そのことを備忘録として書く。
今は特段サッカーの指導をしているわけでもないが、サッカーとフットサルの指導者資格は持っていて、元々日本サッカーへの関心は高い。また、ブラインドサッカー日本代表の方の講演会を聴いたり、周りで障がい者サッカーの支援をされている方がいたりして、障がい者サッカーにも興味を持っていた。同じサッカーといえども、障がい者サッカーについては知らない部分が多いので、新たな気付きや学びが得られたらと思い今回参加した。
研修は2日間にかけて行われ、内容は講義と実技が半分半分だった。
講義では、一方方向ではなく対話形式で行われたのが印象的であった。最初は、なぜサッカーをするのかについて、グループで理由を書き出し、次になぜ障がい者はサッカーするのかについて、同じように書き出した。そこでふたつを見比べると、ほとんど同じだということを再認識した。さらにそこから発展させて、サッカーをする理由や目的は、テクニカル、フィジカル、心理、社会の4側面に分類できることを学んだ。その他にもいくつかグループディスカッションを通じて自由に意見を出し合った。
実技では、1日目はインストラクターがコーチになって、健常者の中に障がい者をどう巻き込むかのトレーニングをいくつか行った。「サッカーでサッカーを学ぶ」という試みは新鮮だった。2日目はグループごとにプランニングの課題が与えられた。実際に自分たちでトレーニングをオーガナイズして、コーチ役になって実践することによって、難しさや課題が浮き彫りになった。例えば、聴覚障害のある選手がいる場合は、選手の真正面に立ってトレーニングの説明をしてあげたり、ホワイトボードを使ったりして褒めてあげたりとか、そういった配慮が必要であった。
2日間の研修を通じて、個々の相手に合わせた対応をすることにより、サッカーはどなたでも楽しめることがわかった。障がい者という観点でいえば、安全についてはより一層の配慮は求められるだろう。しかし、あくまでもサッカーの技術を教えるという本質は変えずに。障がい者に遠慮するのではなく、全員が積極的に取り組めることが大切である。
また、健常者にも障がい者にも当てはまる共通項というのは、サッカーの本質なのではないかと感じた。たとえば、サッカーをする理由は「楽しいから」「勝ちたいから」「上手くなりたいから」ということに変わりはない。指導においても、基本的なコミュニケーションスキルが必要なのはどちらにも言えることである。
サッカーを通じて障がい者のQOLを高めていく活動には、これからも関わっていきたい。
2018.10.21 T.Y.