ふたりブログ

毎回とあるテーマでつづります

リフティング

テーマ【コツ】

 

 2018W杯以来、サッカーに興味を持っている。自分でやってみたくなって、先週、サッカーボールを買った。リフティングに挑戦してみると、2回できた。そんな人間がいるのかと思う人もいるかもしれないが、世の中運動の苦手なタイプは存在するものである。彼らは多くの場合、苦手なことを積極的にやりはしないので、貴方たちも彼らが運動する様子を見る機会はない。しかし仮にそんな機会があったら、リフティングが2回こっきりしかできない人間もいることに気付くだろう。最初に蹴って、もう1度ボールに触るのが精一杯なのだ。

 20分の練習で最高4回という記録に伸びたとはいえ、まだまだ上達したい。その後の日々でぼんやりと考えて、思い至ったことがある。得意なギターを弾くように*1、リフティングができないだろうか、と。感覚的に、近しいものを感じたのである。

 ギターは、両手で弾く。弦を押える手と、弦をはじく手で役割分担をするわけだが、『ギターが弾けます』と人に言えるようになるには、弦を押える左手の動きが重要に思う。始めたばかりの頃は力いっぱいに弦をおさえて、指は痛いし、変なところに力が入っているせいで、腕も肩も、関係ないところまで痛くなったものだ。それでも、練習を繰り返すうち、力の入れ方というものがわかってくる。曲の中のあるべきリズムで、押えるべきポイントを、ふさわしい力で押える。余計な力を入れることもなくなって、長くギターを弾いても苦痛でなくなってくる。"力を入れる"という表現は的確ではないかもしれないが、要所(ツボ)を押さえるというか、所謂、"コツ"というのが、どんな分野にでもあるのだと思う。

 ギターの弦を押えるように、リズムを持って、蹴るべき場所を、ふさわしい力で蹴れば、ボールは真上にあがってくれるんじゃないだろうか。そんなことを考えながら、今日、1週間ぶりにリフティングに挑戦した。しばらく練習して、一番長く続いたのが 8回だった。コツが掴めたとは思えないが、うまく蹴れたと実感できるタイミングが何度かあって、楽しい。先週のブログにもあったが、量はひとりでに質になる。いずれコツを掴めるように、いろんなことを、コツコツと続けられたらな、と思う次第です。

 

2018.10.20 T.N.

*1:私は学生時代に始めて以来、今でもしばしばギターを弾く

50本目の決意表明

テーマ【再始動】


ブログを始めたのは1年前の8月末である。互いにテーマを出し合って隔週で書く「リレー」スタイルの更新は、これまでは概ね上手くやっていたと思う。一方で、テーマそのものに悩まされることもあり、最終的にはテーマで内容が書けずに更新が止まるという、本末転倒の結果を生んでしまった。そこで先日、都内某所に集まり今後の進め方を決めたので、今回はそのことについて書いていく。

始めたそもそもきっかけは、何かアウトプットしていきたいというような漠然としたものであった。途中から目的をちゃんと考えて、「自己表現の収率を上げるために正しい文章術を身に付けること」を目標にした。その目標は変えずにやっていく。

2年目は、書き手がテーマを自由に設定していいことにした。ただし、キュレーションサイトのような情報を収集してまとめるだけというのはNG。自分の言いたいことをひとつは述べるようにする。あくまでも自分の思いを言葉で表現することに主眼を置きたいからだ。そして、隔週更新から毎週更新を目指していくことで量質転化を図りたい。

一度歩みを止めてしまうと、次に動き出すまではなかなか根気がいるものである。それを今回の件で改めて痛感した。いつしかのブログでも書いたが、やはり発信をやめてはいけない。心機一転、新たな気持ちで「ふたりブログ」を充実させていきたい所存であります。

 

2018.10.14 T.Y.

アフリカ旅行

テーマ【アフリカ旅行】

 

 夏休み、世界最貧国のひとつ、マラウイ共和国に行ってきた。旅行記としては、体験した色々のことを書くべきだが、それは友人への土産話にするとして、このブログでは、もう少し個人的な事を書こうと思う。

 高校生のときにボスニアへ行って以来、海外旅行はほぼ10年ぶりだ。どちらも現地にツテがあってのことだけど、成田を出て現地に到着するまでは自分一人。前回・今回共に日本からの直行便はないので、異国で乗り換えをすることになる。人生2度目の"飛行機乗り換え"である今回も非常に緊張したが、何故だか高校時代とは少し違った、不安に似た感覚があった。この不安のような気持ちは現地に着いてからも消えず、その正体は何なのか、旅行中に考えていた。幸い8月のマラウイの夜は長く、かつ日が暮れると外に出られない*1ため、考える時間はたくさんあった。

 考えた末の結論は、"もう甘えちゃいけない"という気持ちがあったこと。高校時代は、いわばまだ子どもだった。わからないこと、できないことは現地の人に助けてもらえばいいと思っていたし、事実みなそうしてくれた。買いたいものは指で選んで、「これ欲しいんですけど」と日本語で伝えて笑顔。道に迷ったら地図を広げて行きたいところを指差して、笑顔。助けてもらったら、「ありがとう。Thank you 」で笑顔。言葉は通じなくともなんとかなる。それは経験した事実だし、語学を理由に海外旅行へ二の足を踏んでしまうタイプの人には声を大にして伝えたい。しかし、である。

 しかし、もう大人だ。興味を持って訪ねた国で、現地の言葉を全く話せないのはリスペクトが欠けていないか、"どうにかなる"という程度で満足なのか、本当は伝えたいことがあるんじゃないか、相手の言ってることを理解したいんじゃないか……そんな想いのせいで、大人になってからの方が不安を感じる、ということになったのだと思う。今回の経験をよいきっかけに、世界の共通語たる英語を学びなおして、もう一度海外旅行に行きたいものである。今度は、自信を持って。

 

 

2018.09.09 T.N.

 

*1:治安の問題もあるが、それ以上にマラリアを媒介するシマダラカの活動時間になることと、街灯がないので暗くて何もできない、という理由が大きい

石鹸

テーマ【石鹸】

 

 近頃は公共の場の石鹸といったら液体石鹸で、固形の石鹸は見かけない。小中学校の頃は、蛇口のところにミカンの網のようなものが引っ掛けられていて、その中に固形の石鹸が1つないしは2つ入っていた。そんな事を思い出して、固形石鹸について調べてみると、なかなか興味深いことを知ることができた。

 ググってみると、僕が小学生時代に使っていたような"共用の固形石鹸"の衛生状態について書かれた記事が目に付いた。不特定多数の人間が触れること、水で濡れた状態で保管されること等が良くないようだ。医療関係の情報サイトを読む限りリスクは特別大きくないように見える*1が、"感染の可能性あり"という説が存在する限り、液体石鹸に移行してしまえば良い気がする。ところがそうすると、今度はコストとゴミ問題にぶつかってしまう。液体石鹸の方が高くてゴミが出るのである。コストに関しては、未来を担う子どもたちの健康のためと思えば、多少贅沢に税金を使ってもいいと思うが、ゴミの増大はまた新たな社会問題である。どうしたものか。

 と、さらに調べて固体石鹸でも液体石鹸でもない第三の選択肢を見つけた。アルコール消毒液である。こちらのページ*2に書かれているが、アメリカ疾病予防管理センターでも効果が高く評価されているとのこと。しかしその理由がおもしろい。すごくくだけた表現をすると『手洗いって1分くらいしないと意味ないのに、実際お医者さんだって10秒くらいしかしないよね?ならアルコール消毒の方が一発で効くじゃん』という感じ(手洗い徹底論に向かないところが合理主義の国らしい)。この論法でいけばまさに子どもにピッタリだ。長々と手洗いさせる必要もない。

 ところがアルコール消毒液となると液体石鹸よりまたはるかにコストがかかりそう……と考えてまたもググったところ、ずいぶん前からアルコールでの手指消毒を導入されている小学校がちゃんとあるようです*3。自分が小学生だったころよりも、世の中の衛生意識が高くなっているということを実感しました。皆様も健康にはお気をつけて。

 

2018.08.05 T.N.

 

次回はテーマ【アフリカ滞在記】 ※ブログ開設1周年記念。前後編に分けて公開予定

語学留学にて

テーマ【禁止】


「奥さん…普通のキノコと立派なキノコ、味がいいのはどっち」

スーパーで買い物をしている主婦の背後から、耳元でこう男性がささやく。「どっちも一緒よ」と答える主婦の手を男が強引に取り、「こっちだ」と言って自分の方へと引き寄せる。「立派…」と主婦が漏らした手の先には、ひとつのブナシメジが握られていた…


かつて語学留学をしていたことがある。ボストンに8週間、ホームステイをしながら現地の語学学校に通って英語を学んだ。学校ではビジネスコースというのに所属していた。それまで英語は海外旅行でしか使ったことのなかった私にとって、さながら大学の経済学部のようなレベルの高い講義には、ついていくのが精一杯だった。

中でも、毎週木曜日にビジネスに関するプレゼンを発表する授業があったのだが、私はこれが一番苦手だった。日本語ですらまともにプレゼンなんかしてこなかったのに、ましてや英語である。毎週木曜日が憂鬱だった記憶しかない。

ある週のプレゼンのお題は、CMであった。自分の国に関係するCMをひとつ取り上げてそれをYouTubeで流しながら、Target marketだとか、Key messageを自分で考えて紹介するという内容。私は何にしようか色々探した結果、前述のキノコのCMを選ぶことにした。Target Marketはスーパーで買い物をする主婦層だし、Key messageも他社のキノコよりも我が社のキノコは立派であるということを明確にしていて、なによりもインパクトがあって伝わりやすい。たしかこのようなことをプレゼンで話そうと用意していた。

いよいよ木曜日になり、プレゼンの時間がやってきた。私の出番となり、YouTubeでこのキノコのCMを検索して皆の前で流した。するとその瞬間、先生から「Stop‼︎」と制されてしまう。内容そっちのけで私は全く気が付いていなかったのだが、なぜならその動画のタイトルにはこう書いてあったからだ。

Hokuto CM - Japanese banned Erotic Commercial

翌週、プレゼンをやり直したことはいうまでもない。その時はビールのCM*1を取り上げて事なきを得たのだった。

 

2018.07.30 T.Y.

 

次回はテーマ【石鹸】

渋谷

テーマ【渋谷】

 

 かなり前のことだが、半年くらいの間、渋谷区代々木公園で漫才の稽古をしていた。稽古と言っても真剣なものではなく、だらだらとやっていたことだが、意外と面白かったので、その時の話をしようと思う。
 相方には学生時代の先輩を誘った。ボケとツッコミの役割、立ち位置の上下、コンビ名はすぐに決まったが、練習場所には紆余曲折があった。家の中で大声を出せないということで屋外を検討したが、実際にやってみると、これが非常に恥ずかしい。終始人の影にビクビクし、誰かが通りががる度に声を落とす。そんな中で見つけたのが代々木公園だった。公園にいる人々がそれぞれ好きなように公園ライフを楽しんでいる。例えば、太極拳、飲み会(桜の季節でもないのに)、発声練習、劇団の稽古、ネットアイドルのダンス撮影、謎の儀式*1等々だ。ここでは何をしても目立つ方が難しい。やりたいことをやればよいのだ。
 素晴らしい稽古場を見つけ、定期的に練習すると、漫才というものに、実体験として触れることができた。その上で特に強く感じたのは、「これは芝居だ」ということ。僕らが漫才師を評価するとき、役者と違って、"演技力"はあまり話題に上らない。でも漫才にも台本があって、相手のボケがどんなものかわかっていながら、初めて聞いたようなリアクションをとってツッコまなければならない。この単純な"演技"が難しい。何度繰り返しても白々しいというか、薄ボンヤリとした雰囲気が抜けないというか……わかりやすく言うと「つまらない」し、「映えない」、「"TVで見たあの感じ"にどうしてもならない」。台本の上ではただの一言でも、どんな声/どんな表情で/どんな"間"で言うのか?――尽きることがないほど多くの要素がある。漫才自体は結局辞めてしまったが、その奥深さの、ほんの一部分だけは、感じることができたのかなと思う。

 漫才に限らず、やってみると、観るだけではわからなかったことがわかる。それは、とても楽しいことで、少し大げさだが、人生を豊かにする経験になるのかなと思う。まぁそんなわけで、諸君も興味を何かに持ったらやってみることをおすすめする。それがちょっと変わったことなら、代々木公園でやればいい。誰もあなたを気にしないから。

 

 

2018.07.23 T.N.

 

次回はテーマ【禁止】

 

*1:~8,9人が輪になって空に手を掲げる

2018年W杯のこと

テーマ【名選手】


このテーマが与えられたときがちょうどW杯期間中であったため、もうひとりにお願いして、投稿をW杯が閉幕するこの日まで延ばしてもらった。となれば大会を振り返って各国の名選手を紹介するのが、常なのだろう。しかし、私ごときがプロサッカー選手を論評するなんてもってのほか。言ってしまえば、W杯に出ている選手は全員が名選手に値すると思うので、ここでは大会を通じて感じたことを書く。もちろん1番記憶に新しいのは決勝戦。フランスとクロアチアの一戦は、大会を象徴するような試合であったと思うので、まずはこの試合を振り返ってみる。

先制点は微妙な判定のファールからのフリーキック。日本代表もコロンビア戦の時に、同じように微妙な判定でフリーキックを与えてしまい失点した。ビデオアシスタントレフェリー通称VARは大きな注目を集めたが、VARの対象となるプレーはゴール、PK、レッドカード、そして選手誤認の4つである。よってペナルティエリア外のファールは、今大会ではVARの原則に当てはまらなかった。フリーキックがゴールに結びついたのはあくまで結果論なのだろう。また、フランスの2得点目も微妙な判定であった。記事*1でも指摘している通り、「何度もリプレイを見る、何度もディスカッションするようなプレーにおいては、全員の合意を得ることにはならない」もので、「人によって『ペナルティだ』『ペナルティではない』と割れるようなプレーとなればVARは使わない」としている。VARを今後も継続すること自体は疑いもないが、どのように用いるべきかはまだまだ議論の余地がありそうだ。試行錯誤して一歩ずつ前進していけばいいと思う。

それと、GKのミスというのは大会を通じて目立っていた。決勝戦のロリスに始まり、カバジェロノイアームスレラ…日本代表でも川島が非難を浴びていた。しかし、W杯のような大舞台でミスをするには、まず何よりその場でピッチに立つ必要がある。つまり彼らがピッチに立っていたということは、それまでに数多くのビッグセーブでチームを救ってきたからに他ならない。ネットで散見する批判的なコメントには、そこがすっぽり抜け落ちている気がした。以下は別の記事*2からの引用である。

「今の川島に対するような評価をされたらGKのやりがいがありません。川島はプロとして強靭なメンタルで己の仕事をやり抜きましたが、他の日本人GKならメンタルが崩壊していたかもしれません。ファインセーブまで粗探しをされ、価値を落とされる。極めて危険な流れだと思います。GKをやろうという子どもが消えますよ」

ルールはシンプルだし、にわかでも十分楽しめるのがサッカーの最大の特徴。ましてや最近はSNSなどを使って気軽に発言ができる。意見も自由でいいと思うし、あの選手がカッコいいとか、そういう切り口で観ても一向に構わない。ただ一方で、あまりに好き勝手言い過ぎるのは良くないとも思う。大事なのは、今の子どもたちが未来の日本代表を担うということ。大人たちは彼らを正しい方向へ導いてあげるべきだ。そして、長谷部選手も帰国後のテレビ出演で言っていたが、いつか日本代表がW杯で優勝する日がきてほしいし、それができれば私が生きている間であってほしい。

 

2018.07.16 T.Y.

 

次回はテーマ【渋谷】