HEROとわたし
テーマ【好きなテレビ番組】
こないだの三連休の話になる。旅行好きの私だが、珍しくどこにも出かけず、代わりにずっとテレビ付けだった。録画していた正月特番はもちろんのこと、キムタク主演のドラマHEROが期間限定で無料視聴できたので、2001年版と2014年版、それと綾瀬はるか出演のスペシャル版とをすべて見た。
HEROの久利生は理想の社会人像である。事件の大小に関係なく向き合う姿勢であったり、気になったことは足を使って自分の目で確かめるやり方というのは非常に影響を受けている。2001年版の第1話で、たかが下着泥棒のためだけに「お出かけ捜査」に行った久利生と、しぶしぶついていく松たか子演じる雨宮。その帰りに久利生が言った「いまこうやって見えてるものよりね、見えないもののほうが多いんだよ(中略)そこまでいかないと見えてこねえんだろうな、きっと」という台詞は印象的である。いまや情報はインターネットで検索すればだいたいのものは出てくるし、メールや電話を使えばだれとでもすぐに繋がることができる。でも自分の足でその場に行って確かめながら、その過程を肌で感じることも大切なような気がする。実際に久利生は見落としがちな事件の本質を「お出かけ捜査」によって見つけていく。
「お出かけ捜査」はわたしも仕事やプライベートで実践しているが、一方で久利生の生き方で私ができていないのは「とことんやりきる」ことである。飯島直子演じる巽江里子が久利生のことを「あいつはふたつのことしか頭にないのよ。検事は被害者の味方、真実を知るためには手を抜かない。相手は誰とか、どこで仕事してるかなんて、あいつにはどうでもいいのよ」と評していた。こういった久利生の姿勢は今の私にはまだ欠けている。そもそも何かひとつのことをやり通すことができるのは、信念というかブレない軸があるからなのだと思う。ふと思い出したのが、植松努著の「NASAより宇宙に近い町工場」の一説「憧れがなければ努力はできない」という言葉。オトナになっても理想や夢を持ち続けるべきなのかもしれない。
一旦テレビにハマってしまうと、続き見たさに抜けられなくなってしまうことを強く実感した。HEROだけでも1時間×11話×2クール+スペシャル版で合計約24時間を費やしたことになるし、他にも年末年始で再放送していたBSの番組が合計10時間くらい。おかげさまで生活がだいぶ不規則になって、食事すらまともにとらなかった。少しは「おでかけ」しても良かったかなと思ったが、これはこれで「とことんやりきった」と前向きに捉えている。
2019.01.23 T.Y.
リロングウェのマーケット
テーマ【リロングウェのマーケット】
今日の花
テーマ【今日の花】
*1:私が手に取ったものとは異なるが、国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧可能なようだ(江戸名所花暦 - 国立国会図書館デジタルコレクション)。ブログに記載した「冬の部」はコマ番号71より始まる
*2:梵刹は寺を指すので、「このお寺」という意味
*3:それが探す必要もないほどはっきりと目の前に飛び出してくる場合を除いて
最近思うこと
テーマ【優先順位】
1番最初に会社に入った時、新入社員研修で「仕事の10か条」というのを暗唱させられた。この会社の人事が独自に作ったものだが、研修中にひたすら音読させられて、最終日に1人ずつ前に立って発表した気がする。この「仕事の10か条」、今ではひとつしか覚えていない一方で、「第2条、仕事の優先順位をつける」だけはなぜか今も鮮明に覚えている。
あいにく私たちの多くは複数の業務をこなすことが求められる。そのため、仕事に取り掛かる前に優先順位をつけるというのはよくあることだ。ただ、優先順位をつけることに慎重になりすぎているケースも散見する。仕事を効率よく進めるための手段だったのに、いつのまにか優先順位をつけることが目的そのものになってしまっている。そういった会議に、いくつか心当たりがある。
例えば、映画館に来て、どの映画を見ようか選ぶときに、その映画を見ることがいかに有益かを納得いくまで延々と議論しているような状態。見たい映画を決めたら、次はどの席で見たらいいかを検討しましょうなんて。気が付いたら、上映時間を過ぎちゃって見れませんでしたみたいな。そうやって費やした10分なり20分の時間こそが一番もったいないと思うのだが。
PDCAサイクルという言葉があるが、この場合「Plan」のことばかり考えていて、その先の「Do」に繋がっていない。いくらホームページやら予告編やらの情報を集めて頭で考えたって限界がある。それよりは、いろいろな映画を見て数をこなしたほうがいい。見ていくうちに「自分はこういう映画が好きなんだな」とか「このタイプの映画は映画館で見るべきだな」とか嗜好がつかみやすくなるので、次に映画館に行ったときに選択するのが早くなる。準備さえ出来ていれば、決断に時間はかからない。その準備は、外から得た情報ではなく、個人の経験というデータベースこそが役に立つ。
私自身が頭で考えることをあまり得意としてないこともあるのだが、自分の肌で感じたことが次の疑問や行動につながることは往々にしてよくある。優先順位を付けることに躍起になっているくらいなら、とりあえずできることからやってみる。早かれ遅かれ、それらのタスクは全部やらなければいけないのだから。「迷ったら動く方を選べ」である。
2019.01.12 T.Y.
思い出の一枚
テーマ【思い出の一枚】
アウシュビッツ強制収容所
テーマ【冬休み】
年始はアウシュビッツ強制収容所に行ってきた。それなりに心打たれたので、忘れないうちに感じたことをここに記す。
アウシュビッツは元々はドイツに反対したポーランド人を収容する場所だった。第一次世界大戦の賠償金に世界大恐慌が重なりダブルのストレスを追ったドイツはヒトラー政権発足後、ポーランドを侵攻。これが第二次世界大戦を引き起こす。最初はポーランド中のエリートを政治犯として刑務所へ送りこんでいたが、入りきらなくなったのでアウシュビッツ強制収容所を作った。のちにドイツがヨーロッパ中を占領していく中で、アウシュビッツでは多くのユダヤ人を虐殺することになる。
遺品や展示された資料から、強制収容所のなかの過酷な生活の一部を知ることができた。髪の毛を絨毯にしていたが、残った大量の髪が展示されていた。他にもメガネや靴、カバンなどの遺品も数え切れないほど展示されていた。義足義手が多く残っているのは、第一次世界大戦で負傷した影響だという。
建物も残されていて、レンガ作りや木造の小屋が広大な土地に、規則正しく建てられていた。そのいくつかに入ったが、およそ人が生活が出来るような場所ではなかった。しかし、そもそも75%のユダヤ人は収容所すら入らず、連行された途端にガス室に送り込まれて犠牲になっていた。この事実は自分にとっての一番の衝撃であって、決して忘れてはいけないと思った。
今回のガイドは日本人の方にお願いした。ガイドの方は説明をする際、徴用工をよく例に挙げてくれた。アウシュビッツの強制労働との共通点や相違点を通じて、私たちにこの問題ついて考えるきっかけをつくってくれた。博物館内に200人ほどいるガイドさんは、一部遺族の方もおられるが、実際に経験している人たちではない。「アウシュビッツで起きたことは、二度と起こしてはならない」という強いメッセージを、次の世代にどのように伝えるか。そのことについて、各ガイドさんはそれぞれ工夫を重ねながら案内をしている。
アウシュビッツでの出来事を他人ごとから自分ごとに捉えられたことは、今回の訪問での大きな成果である。人類史の本なんかを読んでいても、歴史的に他者を排除する習性を人間は持っていて、受け入れるよりも追い出す方が簡単だという。また、当事者になってしまうと、自分の立場以外のことを考えることは非常に難しい。ただ、昨今の急速なグローバル化によって、文化の違う人たちとの共存は避けられないし、大なり小なり似たような問題は必ず自分の身に降りかかる。その時に、中身を精査せずに多数派に入ろうとするような傍観者にならないよう、過去の歴史を学んでおく必要があると感じた。
2019.01.05 T.Y.