ふたりブログ

毎回とあるテーマでつづります

Follower and Influencer

テーマ【流行】

 

最近家でTED Talkをよく見ている。ideas worth spreadingのスローガンに基づいて世界中で開かれる講演はどれも示唆に富むものばかり。スピーカーは英語で話しているので、リスニングの勉強も兼ねて、興味のある講演を漁っては閲覧している。数多ある良質な動画のひとつで、Derek Siversという方の”How to start a movement”*1というスピーチが興味深かった。
ひとつの動画を見せながら話を進めていくのだが、まずあるひとりの男性が奇妙な踊りをしている。この時点では笑い者にされているが、最初のフォロワーがやってきて彼の動きを真似し始める。このフォロワーが友達に声をかけることで、2人3人と加わり、気が付いたらあっという間に1つの運動になった。ここでは、新たなフォロワーはリーダーではなくフォロワーを真似るので、最初のフォロワーの存在が1人の笑い者をリーダーへと変えたことになる。逆に輪に入らない方が笑い者になるので、みんな群衆に従いたがるという内容である。
このスピーチはムーブメントというテーマであったが、流行も同じようなメカニズムで発生すると思っている。日本語でも「流されて行く」と書くがまさにその通りだなと。流行に乗っておけばラクだし都合のいいことの方が多い。捻くれ者もベンチマークとしての流行があって、その外にいたいという願望にすぎない面もある。結局のところ私たちは、トレンドの存在は意識せざるをえない。そこを認めた上で、自分が本当に求めているものは何かと考える必要がある。
ところで、今日はぽっかり予定が空いてしまった。インフルエンザになった同僚の穴埋めで、約束してた相手が急遽出勤することになってしまったからである。インフルエンザという言葉はイタリア語で「影響」を意味するインフルエンツァから来ているらしい。近ごろはSNSなどで影響力を持つ人々をインフルエンサーと言っているが、同じ語源であろう。インフルエンザを引き金に、同僚が代打出勤になったり、それで第三者の予定が変わってしまったり…たしかに、病気にかからずともインフルエンザは様々な影響を与えているなとつくづく感じた。とりあえず私自身は手洗いうがいを十分に行うことにする。

 

2018.02.04 T.Y.

 

次回はテーマ【パズル】

ストーブ

テーマ【ストーブ】

 

芥川の「寒さ」がお気に入りだ。好きだったので、よく覚えているが、たしかストーブが出てきていた。今、青空文庫*1で読み返すと、たしかにある。もっとも、ストーブではなくて、「ストオヴ」だったけど。お話の内容自体はなんとも説明しにくいので諦めるけど、冒頭にこんな文がある。

『ストオヴの火は息をするように、とろとろと黄色に燃え上ったり、どす黒い灰燼に沈んだりした。それは室内に漂う寒さと戦いつづけている証拠だった。保吉はふと地球の外の宇宙的寒冷を想像しながら、赤あかと熱した石炭に何か同情に近いものを感じた。』

「同情に近いもの」というのは、「宇宙全体を温められるわけでもないのに頑張ってんなぁ」という気持ちだろうか。(別にストオヴ君だって、全宇宙を相手にする気はないと思うけどね。)芥川の真意はわからないけれど、全体を通して読んだ個人的な感想としては、否定的な意味での「同情」ではないと思う。むしろすごく優しい眼差しで、「共感」に近いのではないかな、と感じた。この頑張るストオヴへの共感的なものは、結構、僕の趣味に合っている。

わざわざ宇宙と比較しなくても、日常、無意味と思えることをやっていたりする。でもそれは寒さや、やるせなさや、その他色々と戦うにあたっての、自分にとっての唯一の手段だったりする。そういう小さくて無意味と思える何かが、「いつか報われる」というのではなくて、「それ自体に価値がある」と認めてくれるような「同情」だと思っている。

言いたいことがうまく言えないけど、似ている格言を持ってくるとしたら、『明日世界が滅ぶとしても、私は林檎の木を植える』かなぁ。それがもたらす結果以上に、それ自体に価値があるというような……

 

ま、ざくっとまとめると何気ない日々を大切にしましょう、ということです。最近は宇宙的寒冷が日本を襲っているので、お身体を冷やさぬように。

 

 

2018.01.29 T.N.

 

次回はテーマ【流行

風呂事情

テーマ【風呂】

 

初めてひとり旅をしたのは20歳の頃だった。イギリスへ4週間、その後間髪を入れずに沖縄へ2週間旅行に行った。当時は実家暮らしだったので、家に帰れば食事が用意されていて、そしてお風呂には常にお湯が張られていた。学生の貧乏旅行であったため、宿は相部屋かつ風呂トイレ共同のユースホステルばかりに泊まっていたのだが、そこには浴槽などない。6週間ですっかり慣れてしまった自分は、家に帰ってきても入浴はシャワーのみで済ますようになった。
それでもお風呂に入るのは好きである。特に汗をかいたらやっぱり湯船に浸かりたい。週に1〜2回は運動してから帰宅するのだが、真っ先に浴槽のお湯を溜めに行く。お湯張りが完了したらそこへ防水テレビを持っていき、録画した番組を観ながらだらだらと1時間くらい入っている。湯上りは非常にリラックスした状態になるし、こういう時に日本人でよかったなあとしみじみ思う。
また、登山のあとはよく銭湯や温泉に寄る。出来れば温泉の方がよい。六甲山を登った時は、むしろ下山後の有馬温泉がお目当てみたいなものだった。登山が出来て温泉もあるような場所は水も綺麗なので、そば処であることが多い。登山をして、温泉に浸かって、そばを食べて帰る。自分にとってはまさに至福のひとときである。これまで日本各地の温泉地はそこそこ回ってきたし、是非とも勧めたい場所を紹介してもいいのだが、温泉だけに、熱が入って長々と書いてしまいそうなので、また次の機会に。

2018.01.21 T.Y.

次回はテーマ【ストーブ】

コンビニ

テーマ【コンビニ】

 

その名の通り、とても便利。旅行などで慣れない土地に行ったときには、特に心強い。何度も助けられているけれど、24時間営業は、どうかなと思う。

日本の労働環境にどうこう言うとき、多くの人が比較対象にヨーロッパを選ぶ。そんでもってヨーロッパの中でも、特にドイツを例にすることが多い気がする。理由はたぶん、

・WWⅡで同じ敗戦国であること(-> 「敗けたからしゃーない」とは言わせない)

・国民性がちょっと似てること(-> 「真面目過ぎるからしゃーない」とは言わせない)

だと思う。

 

そんな憧れのドイツでは、「閉店法」なるものがある。そのものずばり、小売店の営業時間を制限する法律だ。調べてみると、思っていたより杓子定規なものではないようで、薬局等は24h営業が認められていたり、週によって規定にズレがあったり、制定以来、時間が経つにつれて規制緩和が行われたりしているらしい*1。でも、「夜はものを売らなくて(仕事しなくて)いいんじゃない?」という考え方は大切だと思う。

結局、「遅くまで働いている誰かがいるから、その誰かのためのサービスが必要になる。」という悪循環のようなものが根本だと思う。簡単に変えられる話ではないし、夜に店が全く開いていない生活は想像もできないけど、消防や救急じゃあるまいし、絶対必要なものではないわけで。「夜中にカップラーメンを買いにいける世の中」より、「夜中に何も買えないけど誰も夜中に働いていない世の中」の方がいいんじゃない?という話。 

仕事柄、まれに夜勤がある。普段使わないけれど、24h営業のコンビニに入って、「こういう時には本当に助かるなぁ」としみじみ思う。でも、待った。そうじゃなくて。そもそも夜勤がないのが一番助かる。

少しずつ、「閉店法的な感覚」を持てるようになっていきたい。

 

2018.01.14 T.N.

 

次回はテーマ【風呂

北欧にて

テーマ【抱負】

 

冬休みは北欧で過ごしている。年明けをオスロで迎えたのち、飛行機でさらに北へ向かい、トロムソという北極圏の街で3日間過ごした。今はストックホルムでこのブログを書き始め、投稿する頃にはヘルシンキの空港で帰りの飛行機を待っていることだろう。
今回の旅のメインはオーロラ鑑賞。ただし出現するかは運次第だし、もし仮に現れても、空が晴れていなければ見ることができない。案の定、1〜2日目は空一面が薄い雲に覆われていたため、見ることが出来なかった。3日目に至っては朝から雪であった。半ば諦めてしまい、朝はクロスカントリーして、昼からバーでビールをたしなむなど開き直ったことをしていた。それでも一縷の望みにかけて当日のオーロラツアーを申し込む。
観測スポットに着いた途端は吹雪であった。それでも辛抱強く待っていると、少しずつ天気は回復し、時より雲の切れ間から星が見えるようになった。それでもオーロラらしきものは見えない。小休止でツアー客にホットチョコレートが振舞われてたちょうどその時、空の一部から一直線に光が突如現れた。その光は空を流れるように漂い、数十分続いたのちに消えてしまった。結局オーロラはその一回だけであったが、感動という言葉がちっぽけに思えるほど、心に響くものがあった。
オーロラに限らず、今回の旅では自分の知らない世界をたくさん見た気がした。前置きが長くなったが、今年の抱負は、知らない世界の景色をもっと探していきたいと思う。その過程で学ぶことも多いはずだ。まずは、昨日と違うことをしてみるという心持ちから始めよう。オーロラが見れたように、最後まで諦めずに自分の出来ることをやっていれば、報われることもあるかもしれない。「人事を尽くして天命を待つ」である。
もうひとつ、海外旅行をしてて感じたのが英語の大切さである。英語の勉強ツアーに参加することが多かったのだが、そこで自分の力不足を痛感した。コミュニケーションにしても、自分の言いたいことがすぐに出てこない。最近はSkypeで英会話ができるサービスもあるし、洋雑誌を取り寄せることも容易である。こちらも、出来ることから始めていきたい。

 

2018.01.07 T.Y.

 

次回はテーマ【コンビニ】

総括

テーマ【総括】

 

・1月

記憶も記録もない。おそらくこの頃 ルイス・ミショーの『ハーレムの闘う本屋』を読む。アメリカ、N.Y.のハーレムで黒人のための本屋を開いた、その人についての本だ。これをきっかけに、社畜と揶揄される立場である自分を省みる。そうして、自由を勝ち取るということについて考え始める。また、そのためには金(を稼ぐ力)が必要だということに気付き始める。

・2月

上野光夫の『起業は1冊のノートから始めなさい』という本を読み、起業ノートを書き始める。何ができるのかを判断するため自分を見直す。今ノートを見返すと、「地に足着いた」言葉がないように感じる。起業計画というより、将来の夢ノートになっている。この歳でこの内容か?と思っても、事実は受け入れるより他ない。同世代より遥かに遅れて、社会と自分の関係を考えている。とはいえ、気付かず死ぬよりずっといい。
 ・3月
梅満開の偕楽園へ行く。これで日本三名園をすべて周ったことになる。また、すぐ近くにある弘道館にて烈公の善政を学ぶ。弘道館は既に来たことがあったが、一部資料を期間公開しており、行った甲斐があった。特に吉田松陰の直筆書が思い出深い。筆に溢れる尋常じゃない力に圧倒された。
起業ノートは少し具体的になる。この時期に、「金をもらった経験」(入社以来担当した仕事の所感)をまとめている。
・4月
鶴見の総持寺へ参る。実家の宗派(曹洞宗)の総本山で、宗教心は薄くとも不思議と気合の入る旅だった。お堅い禅宗のため、特に観光して楽しいところはなかったが、便所には思い出がある。「はきものをそろえると心もそろう」、と張り紙がしてあり、実際、便所サンダルはパリッと揃っていた。心が整う気持ちになった。人生、極意は看脚下である。
起業ノートに進捗なし。
・5月
意識を高く持とうと日記を始める。世間はテロ等準備罪でてんやわんや。政治に関心を持つ。小学生の頃から微塵も興味がなかった、政治・経済などの「社会科」を少しずつ知るようになる。この頃からニュースをチェックするようになる。社会と自分の関係を考えるようになって、仕事の出来もよくなった気がする。組織の中で自分はどうあった方が良いのか、この仕事は何のためにするのか。今までが意識低すぎた気もするけれど、今更だろうと、気付かず過ごすよりずっとマシだ。
GWに、前から行きたかった足利フラワーパークへ。見事。藤の季節になったらまた行きたいと思えるところだった。
・6月
転職をしようと思い立ったり、そもそも人生を懸けて何をしたいのかと思い悩んだり、色々とまとまらないまま起業ノートのページが埋まる。2冊目突入。
とりあえずやりたいことをやろう、と思って近くの土手へ虫の音を録音しに行くが、夕暮れ時は虫が鳴いていないことを知る。初夏、虫と蛙は正午を待たずに鳴き止む。たぶん、暑くて鳴きたくなくなるんだろうと思う。採音マニアはAMに動け。
・7月
この頃、起業ノートが思うように進まなくなり、意識の低い日々が始まる。日記に「Youtubeを楽しみに生きる独り身のサラリーマン」という言葉がある。客観的に自分を見る、というのは成功への第一歩だ。二歩目が重くて繰り出せないが。
平塚の七夕祭りを観る。小さな女の子が書いたであろう短冊に「ぼんぼんりぼんになりたい」というものがあった。我々は、いつから自由に未来を期待できなくなったのか。
・8月
夏季休暇に関西旅行。まず琵琶湖、そして大阪、神戸。
大阪で旧い友達と会う。夜遅くまで話した結果、ブログをはじめることになる。今ざっと読み返すと、このブログがなければ得られなかったもの、は確かにあると思う。それは役に立つようには思えないし、人生を物質面の反対側から豊かにする、という点で教養と言えなくもない。初心忘るべからず、と意識せず、求めていたものになっているのではないか、と思う。質はもちろん、まだまだと感じるが。
・9月
社会人が当然のようにしていることを自分もするようになる。まず、クレジットカードを使うようになる。そしてスマホを買う。スマホのおかげで、外出先で終電の時間が確認できるようになる。おそらく、もっと有用な使い方もあると思うが、現状は特に活用できていない。とはいえ、これだけでも、進歩なし・変化なしの年ではなかったように思う。ガラケーからスマホへの移行は、技術革新と言って差し支えない。
・10月
結婚した友人を訪ねる。日光へ行ってキャッチボールをする。結婚したとはいえ、子供ができるまでならば、暇を作ることも可能とのこと。良い話を聞いた、また遊びに行こう。
意識の低い日々が続く。日記の内容も薄くなってきている。
・11月
飯能で紅葉を楽しむ。標高271mの多峯主山に登る。
・12月
1年を振り返る。今書いたことを見返すと、絵に描いたような竜頭蛇尾。年初の想いでは、今頃、起業独立して新しい人生が始まっているのではなかったか。とはいえ、何より、健康体での年越しに感謝だ。反省点および改善点は一つに絞ろう。持ち越しの課題は多すぎても手に負えない。
 
・総括
このブログを書いているもう一人が、昔言っていたのをよく覚えているが、生活には軸が必要だ。1月中に何か趣味を持とうと思う。季節を問わずにできることで、来年の今日、その進捗を披露できるようなやつ。
 

2017.12.31 T.N.

 

次回はテーマ【抱負

Tシャツと私

テーマ【白】

 

この夏は白無地のTシャツに大変世話になった。#FFFFFFTという白無地のTシャツ専門のお店があり、そこで3枚パックのものを購入したのがきっかけ。私は今年の1月にこのお店を訪れたのだが、その後雑誌やテレビで話題になって、7月に友人が訪ねたときは入店待ちの行列ができていたという。
それまでは白のTシャツなんてまったく興味がなかった。なんたってすぐに汚れが目立ってしまうからである。しかし、つい流行に乗りたくなるのが自分の悪いところ。#FFFFFFTに行ってからも、別のお店で色々買い足して合計6枚の白Tを着まわしていた。それに近ごろはシミとりなどの洗剤が進歩しているのも心強い。
閑話休題、白黒はっきりつけないと気が済まないのだろうか、第三者が正義をふりかざす場面がネット上で見受けられる。それも黒寄りの白でも全否定するのが世知辛い。物事はバランスで成り立ってると思っていて、藤原正彦著の「国家の品格」でも「一般の世の中の論理には、1と0は存在しません。絶対に正しいことは存在しないし、絶対的な間違いも存在しない。」という文章が印象に残っている。個人的には少しのシミなら許容できる愛嬌があってもいいと思う。これは仕事でもスポーツでも、そして日常生活にも言えることだが、ミスをカバーできる仕組み作りが肝心である。
ところで、私が買った3枚パックの白Tシャツは、この秋に色違いでグレーを発売して、これも買ってしまった。はっきりとした白と違って、グレーはどことなく落ち着いた印象があるので、これを着て来年はもう少し上品な自分を目指していきたい。

 

2017.12.25 T.Y.

 

次回はテーマ【総括】