ふたりブログ

毎回とあるテーマでつづります

東北へ行った話

テーマ【平成を振り返る】

テレビを点けると識者たちがしきりに平成を振り返っている。それぞれの優劣は他の方たちに譲るとしても、やはり東日本大震災だけは避けては通れないだろう。私は今年の2月に福島、4月に気仙沼へ行った。そこで感じたことをそれぞれ書こうと思う。

知人を訪ねて福島へ行ったのは2月の三連休のことだった。知人とは一緒に東京電力廃炉資料館を見学した。ここは震災で起きてしまった福島の原発事故を振り返り、事故原因と廃炉事業の報告を目的とした施設。事象を説明して、問題点を整理して、根本原因を探り、対策を講じる。いわば始末書のお手本を見せられたようであった。展示内容は非常にわかりやすく本当にオススメである。福島の事故に興味のある方は是非一度立ち寄っていただきたい。

廃炉資料館は福島第一原子力発電所からおよそ10kmほど離れたところにある。辺りは帰宅困難区域にあるので、一般車両は南北に連なる国道6号線のみ通行可能で、交差点の両脇では常に警備員が見張っている。建物は震災当時のままで、片付けすら行われていない状態だった。車のディーラーであったであろうお店も窓ガラスが割られっぱなし、天井板もむき出しで配線が垂れっぱなし。およそ8年が経ったとは思えないほどそのままで驚愕した。知人いわく、人がいないとわかって猿や猪がすみかにしているらしい。この現状は実際に行ってみないと分からなかったことであった。

一方、気仙沼に行ったのは4月7日の日曜日。その日15時に開通した「気仙沼大島大橋」を渡るためだけに、友人と日帰りで行ってきた。気仙沼には行ったのは震災後から数えて3回目。2年前に訪れたときには橋桁が完成したところだった。この橋によって本土と繫がった気仙沼大島は、本土からわずか数百メートルしか離れていないのだが、今まではフェリーでしか行けることが出来なかった。橋を架ける計画は元々あったらしいのだが、決断したきっかけはやはり東日本大震災津波で船が流されてしまい、この東北地方最大の有人島は孤立してしまったのである。

気仙沼大島には休暇村という宿泊施設があり、2年前は実際に泊まりに行った。海鮮が美味しくて、特にワカメが分厚くて印象的だった。今回は日帰りといえど、大島でも何かできればと思ったが、道路が大渋滞に合う。市街地から橋の手前まで本来なら15分で行けるはずなのに、1時間もかかってしまった。帰りの仙台空港最終便に間に合わなくなるため、橋を渡ったらすぐにUターンをしてもう一度橋を渡って戻り、泣く泣く仙台へ向かったのだった。激しい後悔と同時に、周りの関心度の高さが知れた。気仙沼には近いうちにリベンジしたい。

 

2019.04.28 T.Y.