ふたりブログ

毎回とあるテーマでつづります

渋谷

テーマ【渋谷】

 

 かなり前のことだが、半年くらいの間、渋谷区代々木公園で漫才の稽古をしていた。稽古と言っても真剣なものではなく、だらだらとやっていたことだが、意外と面白かったので、その時の話をしようと思う。
 相方には学生時代の先輩を誘った。ボケとツッコミの役割、立ち位置の上下、コンビ名はすぐに決まったが、練習場所には紆余曲折があった。家の中で大声を出せないということで屋外を検討したが、実際にやってみると、これが非常に恥ずかしい。終始人の影にビクビクし、誰かが通りががる度に声を落とす。そんな中で見つけたのが代々木公園だった。公園にいる人々がそれぞれ好きなように公園ライフを楽しんでいる。例えば、太極拳、飲み会(桜の季節でもないのに)、発声練習、劇団の稽古、ネットアイドルのダンス撮影、謎の儀式*1等々だ。ここでは何をしても目立つ方が難しい。やりたいことをやればよいのだ。
 素晴らしい稽古場を見つけ、定期的に練習すると、漫才というものに、実体験として触れることができた。その上で特に強く感じたのは、「これは芝居だ」ということ。僕らが漫才師を評価するとき、役者と違って、"演技力"はあまり話題に上らない。でも漫才にも台本があって、相手のボケがどんなものかわかっていながら、初めて聞いたようなリアクションをとってツッコまなければならない。この単純な"演技"が難しい。何度繰り返しても白々しいというか、薄ボンヤリとした雰囲気が抜けないというか……わかりやすく言うと「つまらない」し、「映えない」、「"TVで見たあの感じ"にどうしてもならない」。台本の上ではただの一言でも、どんな声/どんな表情で/どんな"間"で言うのか?――尽きることがないほど多くの要素がある。漫才自体は結局辞めてしまったが、その奥深さの、ほんの一部分だけは、感じることができたのかなと思う。

 漫才に限らず、やってみると、観るだけではわからなかったことがわかる。それは、とても楽しいことで、少し大げさだが、人生を豊かにする経験になるのかなと思う。まぁそんなわけで、諸君も興味を何かに持ったらやってみることをおすすめする。それがちょっと変わったことなら、代々木公園でやればいい。誰もあなたを気にしないから。

 

 

2018.07.23 T.N.

 

次回はテーマ【禁止】

 

*1:~8,9人が輪になって空に手を掲げる

2018年W杯のこと

テーマ【名選手】


このテーマが与えられたときがちょうどW杯期間中であったため、もうひとりにお願いして、投稿をW杯が閉幕するこの日まで延ばしてもらった。となれば大会を振り返って各国の名選手を紹介するのが、常なのだろう。しかし、私ごときがプロサッカー選手を論評するなんてもってのほか。言ってしまえば、W杯に出ている選手は全員が名選手に値すると思うので、ここでは大会を通じて感じたことを書く。もちろん1番記憶に新しいのは決勝戦。フランスとクロアチアの一戦は、大会を象徴するような試合であったと思うので、まずはこの試合を振り返ってみる。

先制点は微妙な判定のファールからのフリーキック。日本代表もコロンビア戦の時に、同じように微妙な判定でフリーキックを与えてしまい失点した。ビデオアシスタントレフェリー通称VARは大きな注目を集めたが、VARの対象となるプレーはゴール、PK、レッドカード、そして選手誤認の4つである。よってペナルティエリア外のファールは、今大会ではVARの原則に当てはまらなかった。フリーキックがゴールに結びついたのはあくまで結果論なのだろう。また、フランスの2得点目も微妙な判定であった。記事*1でも指摘している通り、「何度もリプレイを見る、何度もディスカッションするようなプレーにおいては、全員の合意を得ることにはならない」もので、「人によって『ペナルティだ』『ペナルティではない』と割れるようなプレーとなればVARは使わない」としている。VARを今後も継続すること自体は疑いもないが、どのように用いるべきかはまだまだ議論の余地がありそうだ。試行錯誤して一歩ずつ前進していけばいいと思う。

それと、GKのミスというのは大会を通じて目立っていた。決勝戦のロリスに始まり、カバジェロノイアームスレラ…日本代表でも川島が非難を浴びていた。しかし、W杯のような大舞台でミスをするには、まず何よりその場でピッチに立つ必要がある。つまり彼らがピッチに立っていたということは、それまでに数多くのビッグセーブでチームを救ってきたからに他ならない。ネットで散見する批判的なコメントには、そこがすっぽり抜け落ちている気がした。以下は別の記事*2からの引用である。

「今の川島に対するような評価をされたらGKのやりがいがありません。川島はプロとして強靭なメンタルで己の仕事をやり抜きましたが、他の日本人GKならメンタルが崩壊していたかもしれません。ファインセーブまで粗探しをされ、価値を落とされる。極めて危険な流れだと思います。GKをやろうという子どもが消えますよ」

ルールはシンプルだし、にわかでも十分楽しめるのがサッカーの最大の特徴。ましてや最近はSNSなどを使って気軽に発言ができる。意見も自由でいいと思うし、あの選手がカッコいいとか、そういう切り口で観ても一向に構わない。ただ一方で、あまりに好き勝手言い過ぎるのは良くないとも思う。大事なのは、今の子どもたちが未来の日本代表を担うということ。大人たちは彼らを正しい方向へ導いてあげるべきだ。そして、長谷部選手も帰国後のテレビ出演で言っていたが、いつか日本代表がW杯で優勝する日がきてほしいし、それができれば私が生きている間であってほしい。

 

2018.07.16 T.Y.

 

次回はテーマ【渋谷】

 

芝生

テーマ【芝生】

 

 スポーツをやっていないので、自分にとっては「庭の休憩所」というイメージ。広大な庭園を歩き回って、疲れたら芝生の上で、座るなり眠るなりしてください。というのがベストだが、"芝療養中"なんて看板があって、自由に入れないところも多い。そんな中で、岡山後楽園の芝生は、出入り自由で良かったなと思う。

 行ったのは数年前の3月。天気は晴れ(岡山は大抵晴れ)。JR岡山駅を降りて、後楽園までは歩く。公称「徒歩25分」なので、少なくとも 2kmくらいはあるだろうと思う。そこそこ歩いて、正門から入ると、まず最初に見えるのが芝生で、平日だったからか、人はまばら。レジャーシートを敷いて、ピクニック感を出している家族もいれば、両手を広げて寝転がっているおっさん(碧眼の観光客)もいる。田舎の河川敷のような状態に、とても強い安心感を得る。俗に言う「インスタ映え」するスポットではないようで、芝生近辺はカメラもなく、観光地らしいところは外国人の姿が見えることくらいか。日曜日の土手のような長閑さがある上、野球ボールが飛んでくる心配もなく、芝生はこれ以上ないほど整えられていて、見える景色は全て国の特別名勝である。非常に贅沢な休憩所と言えよう。

 長閑さを堪能すべく、早速、リュックサックを枕に寝転んだが、陽射しの眩しさにすぐに起き上がった。とても寝ていられない眩しさだ。だがそういえば、あちらに寝転がっていた外人がいなかったか?何故奴は平気なのか?やせ我慢か? 見るとおっさんはサングラスをしていた。結局、私はリュックサックを背にしてのんびりと座るにとどめることとした。その後、しっかりと庭園を見て回りはしたが、晴れの芝生の気持ちよさに優る感動はなかった。

 『贅沢とは居心地のいいこと』とココ・シャネルが言ったそうだが、晴れた日、芝生の上でゆっくりすることはこの上ない贅沢だと思う。それが美しい庭園の中なら尚更だ。いつか後楽園の芝生の上で、ゆっくり寝転んでみたい。サングラスを忘れずに。

 

2018.07.01 T.N.

 

次回はテーマ【名選手】

10年後の自分へ

 テーマ【10年後】

 

拝啓

このブログを読んでいるあなたは、どこで何をしているのでしょうか。わたしはtoconomaというジャズバンドの曲を聴きながらこのブログを書いています。音楽については移り気なあなたの現在のマイブームは何なんでしょうか。
わたしは大学卒業後、社会人として5年を過ごし、仕事を変えてからはもうすぐ2年が経とうとしています。とりわけ去年からは週末旅行がライフワークになっています。また、去年から始めたこととして、このブログも挙げられます。新たな知見を自分の言葉で書くための訓練にしていて、とりあえず3年間である程度の文章が書けるようにしたいと思っています。このブログの経験が何かしらのカタチであなたに活かされるように、これからも発信を続けていくつもりです。
わたしの10年前はまだ高校生でした。どの大学に入学するのかもわからない中で、いきなり卒業先の進路のことまでは、到底頭が回りませんでした。だから、わたしがあなたのことを詮索したところで、結局は何も出てこないような気がします。わたしがいま聴いているtoconomaはちょうど10年前の2008年に結成しましたが、このバンドにハマるようになるとは、当時のわたしは全く思ってもみなかったわけで。
一方で、自分の生き方を自分で狭めることはしたくないとは常日頃から考えています。そのためには、アンテナを張って何にでも興味を示すことが必要なのかなと。これまでにわたしが出会った尊敬する方々の共通点は、いくつになっても好奇心が衰えないということでした。わたしなりの言葉で言うと「やじうま精神」は、今後もわたしたちを構成する要素として持ち続けるものだと信じてやみません。いつでも心に好奇心を持ってください。最後に「健康第一」こちらも併せてよろしくお願いしますね。今から10年後のあなたに届きますように。
敬具

 

 2018.06.17 T.Y.

 

次回はテーマ【芝生】

短編:ドーナツ

テーマ【ドーナツ】

 ※このお話はフィクションです。


 正月の話。懐かしい友人に会った。稚内に勤めていて、なかなか会えなかったが、久し振りに東京まで帰ってきたとのことで、ちょっと飯でもと誘ったのだ。こいつが中々のホラ吹きで、いつも適当なことを喋っているから何が本当なのかわからない。罪のないジョークがほとんどだが、何度かホラを真に受けて恥をかいた事があるもので、以来、こいつの言うことは信じない。こいつと比べれば、9つになったばかりの甥っ子の方がまだ信用できる。こいつの最新のネタが、「ドーナツ」だった。

  「ドーナツの穴だけ売ります」という商売があるという。個包装された袋の中に、ドーナツの穴だけが入っている。一見何もないようだが、開けるとドーナツの穴を取り出すことができて、食べると、ドーナツを食べ終えたときのような気持ちになるという……さすがに嘘だろうと突っ込んだが、友人は真実だと譲らない。なんなら、見せてやるから、正月休みのうちに一緒に稚内に来いとまで言う……
 こうなると頭がボンヤリしてくるのが僕の悪いところだ。気になって気になって、実際に行って確かめるより他ないという気持ちになってくる。他に予定はないし、行ってみようか。今から実家に戻って、荷造りして、間近ではあるが航空券さえとれれば、真相を確認できるじゃないか。
 今日発の腹積もり。急ぎなので、自分で荷造りをしている間、姉夫婦と共に実家に帰っていた可愛い甥っ子に、飛行機のチケットを探してもらう。
「ごめんね、叔父さんのPC使ってさ、一番早く稚内に行けるやつ探してみて。あと、JALでなきゃダメなんだ。マイル貯めたいから」
「はーい。でも叔父さん、稚内行きって、JALはないみたいだよ?」
「嘘だあ。絶対あると思う。天下の日本航空だぜ?」
「う~ん。ドーナッてんだろ? ANAだけだよ」

  

 2018.06.10 T.N.

 

次回はテーマ【10年後】

身近なところで

テーマ【ロボット】

 

昨今、あらゆるものが「ロボット化・自動化」している。新聞を読めば、世の中は「IoT」に関する記事で溢れかえっているので、私ごときが今さら「ロボット」というテーマで文章を綴ることに、おこがましさすら感じてしまう。そこで今回は、どこかの本で書いてあった「オリジナリティを出したい時はあなた自身の体験が役に立つ」という言葉をヒントに、身近なところで、ロボット掃除機と自動車の追従走行機能の話をしようと思う。
まずロボット掃除機だが、実は私は彼(?)と出会ってから生活が一変した。元々、片付けはかなり苦手であった。学校の通信簿では「身の回りの整理整頓ができる」の欄に毎回「がんばりましょう」と書かれていたし、自分の部屋は一時期足の踏み場がないほどに散らかっていた。おまけに、掃除機の音が黒板を爪でひっかく音よりも不快と感じるため、掃除機をかける時はそれなりに根気を入れる必要があった。水回りの掃除とゴミ捨てだけは最低限おこなっていたが、とても人を招けるような家ではなかった。
そんな私であったが、友人がうまく活用しているのを見習い、引っ越しを機にロボット掃除機を迎え入れた。それから毎週2回タイマーをセットして、私が仕事で家を外している間、ロボ様に働いてもらうようにした。出かける前に、ロボ様の障害物はすべて取り除いてあげなければならない。そう考えるうちに、床の仮置きはこまめに戻すようになり、そのうち仮置き自体も減っていった。たった掃除機を変えただけなのに、私は整理整頓が自然と身についたのである。「部屋の乱れは心の乱れ」というのはよく言ったもので、たしかに帰る家が清潔を保っているのは気持ちがいい。いまや我が家は、いつでも人を招き入れることが可能だ。もっとも急な来訪なんてないのだが。
もうひとつ、自動車の追従走行だが、これはちょうど昨日経験したばかりのことである。知り合いに登山へ誘っていただき、道中3時間半ほどのドライブをした。その帰りの運転を私が任されたのだが、そこで追従走行機能の力を借りることになった。高速道路を走行中にハンドルについたボタンを押して発動。すると、アクセルペダルを踏むことなく、設定した速度まで加速して、そのまま一定速度を維持してくれる。もし前方の車に追い付きそうになると、自動で速度を落とし、前の車と同じ速度で追走してくれた。追い越したい場合は車線を変更をすることで、再び設定速度まで加速しはじめる。本当にペダルを踏むことなく高速道路を走行できてしまうのである。
私が車の運転で疲れるのは、速度の調整に気を使うからだと常々感じていた。高速道路にも坂道はあるし、他に車がいると様々な予測をしなければならない。それが追従走行機能に置き換わると、負担は軽くなるし、かと言って余計なスピードを出す気も起こらない。実際のところ今回は夜の運転にもかかわらず、ほとんど疲れを感じなかった。今は車を持っていないが、近い将来に買うことになるだろう。そのときは、追従走行機能が搭載された新車を迷わず選びたい。
今あげた二つが私の生活観を変えた「ロボット化・自動化」である。次はどんなロボットが私の生活を変えるのかと思うとわくわくする。ただ、できればそれが嫁ロボットではないことを願いたい。

 

2018.06.03 T.Y.

 

次回はテーマ【ドーナツ】

先生

テーマ【先生】

 

 "良い先生"として思い浮かぶのは、中学1年生の時の理科の先生だ。その人は、勉強嫌いでも興味を持つような実験をさせてくれたり、面白い科学の話をしてくれたりした。少し前まで小学生だった子どもにとって、「なんだか面白そう」という魅力は、授業内容以上に重要な面があると思う。

 何故かといえば、僕らはなんとなくの印象だけで、その教科への出来/不出来が決まるところがあるからだ。まず、好きか嫌いか。そこで嫌いになってしまうと、授業にも集中できないし、理解る気にもならない。学ぶ内容自体は、論理的に非常に複雑な訳ではないのだから、思春期の学業成績というのは、モチベーションによるところが大きいと思う。
 僕自身、理科がそこそこできたのは、この先生のおかげだと考えている。先生がしてくれたのは例えば、以下*1。これなら怠け者の僕も、興味を持って、勉強する気にもなるというものだ。

1.「画用紙を丸めて作った筒の上にノートを何冊乗せられるか?」実験

生物の時間。画用紙は各班に数枚ずつ渡されて、筒はたくさん作っていい。どんな形で筒を作って並べれば、より多くノートを乗せられるのか、最も丈夫なやり方を考える。答えがすなわち、維管束*2の形で、生物(自然)の合理性を学ぶ。

2.「死んだら星になる」お話

僕が死んで、火葬ということになると、たんぱく質だの炭素だのという、"僕を構成していた色々"は煙と一緒に地球上を漂うことになる。"僕を含んだ地球"はそのうち太陽に飲み込まれて、太陽はそのうち超新星爆発で宇宙のチリになる。宇宙のチリはそのうち周囲を巻き込んで核融合を起こし、星となる。。。めぐり巡って、「死んだら星になる」ということ。

 

 中学生相手なら、『生徒に興味を持たせる』ことのできるのが良い先生だ。学校というシステムでは気付きにくい、知る楽しさ・学ぶ楽しさを生徒に伝えられる、そんな先生が、未来ある子供たちを学問のスタートラインに導いてくれるのだと思う。

 

2018.05.27 T.N.

 

次回はテーマ【ロボット】

*1:今思うと、厳密にはどこまで正しいか……とっつきやすさ優先で、厳格な科学でない可能性もあるかも

*2:維管束